ナポレオン・ヒルの成功哲学の物語

シェアする

スポンサーリンク
カーネギー

カーネギーホールは、まさにアメリカンドリームのシンボルです。これを建てたのはアンドリューカーネギー。貧しい移民のことして生まれながら、たった一台で全米屈指の大富豪となり、数々の偉業を成し遂げました。その成功の秘訣は一体何だったのでしょう。

努力?幸運?

カーネギー

それでは、早速カーネギーの人生を追っていきましょう。

1835年、アンドリューカーネギーはスコットランドの古い都で麻の機織り職人の子として生まれました。当時、この都市は麻織り物の中心地として栄えており、アンドリューも父の仕事を継ぐべく小学校を出るとすぐ糸巻き工として働き始めました。

しかし、1847年、産業革命の機械化の波がスコットランドを襲い何千人もの機織り職人が失業の憂き目に会いました。アンドリューの父もその一人でした。

火の車となった家計を助けるために、母のマーガレットは、あらゆる仕事をしましたが、思うような収入は得られませんでした。そこで、一家がたどり着いた解決策は、やむなく国を捨てアメリカに移住するということでした。

彼らが目指したのは、ペンシルベニアの工業都市ピッツバーグ、産業革命の最前線とも言えるこの都市は鉄鋼業の中心地でした。そのスラムタウンと呼ばれる貧しい地区に彼らは、居を構えました。

その地区の多くの子供達と同様、若きアンドリューカーネギーは、紡績工場のボイラーの窯焚き工として1日12時間以上も働き始めます。

翌1849年、そんなアンドリューカーネギーに転機が訪れます。当時の最新伝達手段であった電報の配達係に採用されたのです。ほどなくしてアンドリューの働きぶりに感心したペンシルベニア鉄道の重役トーマススコットによって彼はスコットの専用伝達士に取り上げられます。トーマスは、彼を「マイボーイ・アンドリュー」と呼んで可愛がりました。

そんなある日、スコットの留守中に鉄道事故が起こりました。この事故を若いカーネギーは自力で素早く処理してしまいます。スコットはこれを高く評価し、それから2人はビジネスパートナーとしての道を歩み始めます。

まず手始めに大きな貨車を造り、1度に多くの人びとを運ぶことにより運賃コストの削減に成功しました。

そして、電報の24時間営業、鉄道も24時間運行させました。

「多くの人をできるだけ早く運ぶ」

という営業方針により、ペンシルベニア鉄道は巨大な利潤を得たのです。

また、先見の明のあるカーネギーは、新会社への投資の成功を皮切りに次々に投資で成功を収めていきました。

西へ西へと鉄道網が広がりつつあった当時、橋も木製から鉄製へ変わろうとしていました。

カーネギーは、トーマススコットをパートナーに、ペンシルベニア鉄道の社長エドガートンプソンを顧問に迎え製鉄会社を設立。それらの鉄を一手に引き受け、莫大な利潤を生み出しました。

1875年、カーネギーは、ペンシルベニア州ブラドックにスチール工場を建設し、鋼の製造を開始しました。その工場は、ペンシルベニア鉄道の社長エドガートンプソンに因んで、「エドガートンプソンワークス」と名付けられまいた。

その工場の初仕事は、2000本のスチールをペンシルベニア鉄道に納めたことでした。

その後、カーネギーは巨大なプラントを次々にプロデュースし全米の鉄鋼の2分の1を生産するまでに至ります。アメリカ経済界をも牛耳る鉄鋼王の名を欲しいままにしました。

カーネギーの成功の秘訣は何だったのでしょうか?これを学びたいと思いませんか?

そこで、カーネギーの成功哲学をわかりやすく体系化し、受け継いだ人物が登場します。彼の名は、ナポレオンヒル博士。

それでは、ナポレオンヒル博士とカーネギーの衝撃的出会いをご覧下さい。

私は、とても迷っていた。私はジョージタウン法科大学へ通う学費と生活費を稼ぐために成功者達の記事を雑誌に寄稿するアルバイトをしていた。その最初の人物が、たまたまアンドリューカーネギーだったのだ。ところが、3時間あまりのインタビューを終えて帰ろうとすると彼は私をそのまま引き止め、信じられないことに、なんと3日3番にわたって人生の成功に関する物語を語ってくれたのだ。

そして、3日目の晩、重大な話を取り出し、私に決断を迫ったのだ。

「ガムシャラな努力を続けることは、泳げない人間が足のつかないプールに飛び込むようなものだ。その人は一体どうなる?彼は、プールの端にたどり着こうとする。一生懸命もがくだろうがそんな努力もむなしく彼はただプールの底に沈むだけだよ。

もし、同じ労力を使うのであれば、泳ぎ方を身につけてからそれからプールに飛び込むべきだ。そうすればいいのだ。

わかるかね?ヒル君。泳ぎ方を身につけること。つまり、成功の秘訣を身につければ必ず成功することができる。

さあ、どうする?ナポレオンヒル君。この成功の哲学を完成させるために20年かけてプログラム化させる気はないかね。イエスかノーで答えたまえ。ヒル君。」

「やらせてください。カーネギーさん。是非、お願いします。」

「よろしい。ただし、君への金銭的援助は1セントもない。それでもいいかね?」

なんていうことをいうのだろう、この人は。私に20年もタダ働きをしろというのか。本当に迷っていた。大学へ行くお金すらないというのに。その時、どこからともなく声がした。

「ほら、イエスと答えろ、こんなチャンスを逃すな。」

「やらせてください」

「ん~、29秒だ。君が答えを出すまでに29秒かかったよ。私は、1分を超えたら諦めるつもりだった。この程度の決断に時間をかける人間は初めから成功なんか出来やしない。私はこれまでに260人の人間に同じ決断を迫ったが、誰ひとりとして1分以内に答えを出せなかった。260人だよ。ヒル君。はっはっはっ。や~。これからは、ソクラテスやプラトンの哲学とは全く違う成功の哲学が必要なんだ。わかるかね。」

「はい。」

「この哲学を完成させるために500人以上の成功者を紹介しよう。君の若い力でぜひ完成させてくれたまえ。」

「分かりました。カーネギーさん。頑張ります。」

「ん~、いいかね、20年はとても長い。そして、私が依頼した哲学の体系化は困難なことだ。しかし、君は引き受けてくれた。そこで、君に忠告しておきたいことがあるんだ。

弱虫にとって途中で諦めることほど楽なことはない。だが、君はそんな弱虫ではないだろう。君がそんな男なら私はこんなチャンスを君に与えなかった。」

「ありがとうございます。感謝します。」

承諾はしたものの、本当に私に出来るのだろうか?しかも、その時に私にはまだ解らない謎が2つあった。

1つは、なぜ20年もかかるのか?そして、もう1つは、なぜ無報酬なのか?だった。

カーネギーは、ナポレオンヒルに人生を左右する重大な決断を迫り、そして、彼はそれを29秒という短時間で受け入れました。では、なぜこの決断に意味があったのか、ポイントを整理してみましょう。

カーネギーは、成功を目指す上で最大の障害になるのは、優柔不断と先延ばしであり、一見どんなに正当性がある理由でも決断しなければそれは単なる言い訳に過ぎないこと。身を持って成功哲学を実践してきた彼は、それゆえ決断を重要視したのです。

一方、金ギーの迫った決断を受け入れられなかった260人のその後の人生はどうなったでしょう。当時は、ナポレオンヒルより地位や名誉を備えていた人も多いはずですが、今彼らを知る者は誰もいません。

それに引き換え、ナポレオンヒルは、地位や名声を獲得しました。決断できるか、できないか、その僅かな差がその後の人生を全く別のものに変えてしまったのです。

ナポレオンヒルは、カーネギーに紹介された成功者たちに次々と出会っていきます。中でも、ヘンリーフォードはフォード自動車の設立者であり、後に自動車王と呼ばれた、成功の鍵を発見するのに重要な人物です。それではヘンリーフォードの興味深いエピソードをご覧下さい。

一塊の機械工から身を起こし、量産化により自動車を大衆のものにしたヘンリーフォード。しかし、フォード自動車を設立して間もない1900年代はじめ、彼の名前はまだまだ知られていませんでした。

「これからの自動車業界は、発展するとお考えですか?いかがですか?」

「はい。」

「成功者と呼ばれる人達と何か交流はありますか?」

「はい。」

「どなたですか?」

なんて無口な男なんだ。このヘンリーフォードという男は将来本当に自動車産業のトップに立つのだろうか?

「あなたの作った生産ラインは他の産業に影響を与えたと思いますか?」

「はい。」

「お忙しい中、どうもありがとうございました。フォードさん。」

「こちらこそ、どうもありがとう。」

「また、お会いできる時があると嬉しいのですが。」

「そうですね。」

~新型エンジンの開発作業は6か月前から行われれていた~

「どうかね、進行状況は?」

「問題があります。」

「ん~、なんとしても完成させるのだ。新型エンジンを。」

「しかし、不可能なものは不可能なんです。フォードさん。」

「とにかくやり続けたまえ。例えどれだけ時間と経費が掛かってもいいから完成するまではこの仕事に精魂傾けて打ち込むんだ。

~6ヶ月後、開発開始から1年後~

「フォードさん、いろいろ手を尽くしましたがこの新型エンジンは絶対できません。残念ながら、ご報告できるのはそれだけです。」

「私が聞きたいのはできない理由ではない。どうやったらできるかを考えるんだ。とにかく何度でも作ってみてくれ。私にはどうしてもこのエンジンが必要なんだ。」

それから間もなくのことでした。まるでフォードの熱意が奇跡を生んだかのようにエンジニアたちは新型エンジンを完成させたのです。まさにフォードの執念が勝利に結びついたと言えるでしょう。

そして、ナポレオンヒルとフォードの会見後5年間のうちにフォード社の車は世界中の道路を埋め尽くすまでになりました。

ヘンリーフォードはこう語っています。

 「事実が例え分かっていなくてもとにかく前進することだ。前進し行動している間に事実はわかってくるものなのだ。」

社交的で口が達者な人間が必ずしも成功するわけでないことは、無口な男ヘンリーフォードの例を見ても明らかです。

それでは、ナポレオンヒルのその後の人生を再現フィルムで見ていきましょう。

20年に及ぶタダ働きは弟にも責められ、「兄さんは狂っている!」とまで言われてしまった。確かにそうかもしれない。

カーネギーさんとの約束をこのまま続けて本当に大丈夫だろうか?どうしたらいいんだ。

「ヒル君、どうぞ座りたまえ。」

「ありがとうございます。早速ですがカーネギーさん。成功者にインタビューしてその哲学を体系化する意味はわかります。でも、なぜ20年もかかるんですか?そして、なぜ無報酬なんですか?」

「よく聞いてくれた。それには、深いわけがあるんだ。なぜなら、私が君に紹介した人物の多くはまだ成功にいたっていない人物なんだ。」

「まさか。本当ですか?」

「既に大成功をおさめた人の話など図書館に行けば多くの本に載っていることだ。しかし、私飲み込んだ彼らはこれから20年のうちに必ず成功するんだ。だから君には、彼らがどのようにして成功者と呼ばれる人間になるのか、そのプロセスを観察して欲しいのだ。いわば承認としてね。」

「あなたの仰っしゃるとおり彼らは20年で大金持ちになるでしょう。でも、私がなぜ彼らを無報酬で追いかけなくちゃいけないんですか?私には弁護士になるという夢があるんです。20年は長すぎます。」

「ヒル君、この仕事で一番成功をおさめるのは誰だと思う。」

「わかりません。」

「君なんだよ。ナポレオンヒル君。この仕事で一番成功するのは。今まで私は君に成功の哲学を教えてきた。その上、500人以上の成功しつつある人物に出会え、彼らの行動をつぶさに観察できる。いわば、君の大成功は確約されているのだ。この仕事が終わる時までに。わかるかな。真の成功を手に入れようとする人間は、目先の損得に囚われてはならんのだ。この仕事を任せたことこそが莫大な財産をただであげたようなものなのだよ。かけがえのない財産、成功の黄金律をね。」

「カーネギーさん、ありがとうございます。精一杯やります。」

「私はこれまで世界中に富を分配してきた。しかし、大切なのは幸せな人生を築くノウハウを世の中に知らしめることなのだ。」

ナポレオンヒルは、カーネギーとの約束通り精力的に成功者達にインタビューを行い彼らの哲学を次々と体系化していきました。

彼が実際に足を運んで出会ったのは、先程ご紹介したヘンリーフォードはもちろん、一生のうちたったの3ヶ月しか学校に通わなかった天才発明家トーマスAエジソン、電話機を発明したアレクサンダー・グラハム・ベル、写真フィルムで億万長者になったコダック社の創業者ジョージ・イースロマン、安全カミソリの開発で巨大企業を築いたキング・ジレット、億万長者で慈善事業に力を注いだジョン・ディー・ロックフェラー、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトなど実に507人にものぼります。

しかし、彼が成功哲学を体系化していく道のりは決して平坦ではありませんでした。

1929年、未曾有の大恐慌が世界を襲いました。株価は暴落し、経済は大混乱を極め、失業者が続出し、ストや暴動が相次ぎました。

さらに、それに追い打ちをかけるかのように、アメリカの農村部では砂嵐や洪水などの天災が起こり、人々はやり場のない怒りに荒れ狂い一家離散や自殺者が相次ぎました。

ナポレオンヒル自身もその財産の大半を失う憂き目に遭い大切な家を二束三文で売りに出したほどです。

そして、人生最大の師であるアンドリューカーネギーが亡くなり、失意のどん底に。

しかし、その度にナポレオンヒルは立ち直りました。

なぜなら彼は、逆境には成功の種子があると信じていたからです。

ナポレオンヒルは、カーネギーとの出会いから20年の歳月をかけ、その約束を果たしました。そして彼は、あらゆる逆境を乗り越えて、成功哲学を体系化したプログラムを世に送り出したのです。

それではここで、ナポレオンヒルが体系化したプログラムのごく一部をご紹介します。あなたの人生にどのように活用できるか、ぜひ考えてみてください。

失敗の最大の原因は優柔不断と先延ばしである。決断なきところに成功はない。

  1. やりたいことはまず行動によって示せ。
  2. 勝利者は決して途中であきらめない。
  3. 揺るぎない信念が思考を力に変える。
  4. 心で考え、できると信じたことは必ず実現できる。
  5. 逆境の中にはそれと同等かそれ以上の成功の種子が含まれている。

ここに掲げた6つのポイントは、一見難しそうに見えるかもしれませんが、実は簡単なことなのです。人間には将来を築き上げる能力があるのだとナポレオンヒルは語っています。これは、考え方こそがあなたの人生を変えるのだということに他なりません。

さあ、あなたも積極的な心構えで思考回路をガラリと変えてみてはいかがでしょう。

~故 クレメント・ストーンとの出会い~

20年の歳月を費やし成功のプログラムを体系化を成し遂げたナポレオンヒル博士、文字通りカーネギーとの約束を果たした彼は、自らも成功者の仲間入りを果たすことができました。

カリフォルニア州で悠々自適な生活を謳歌しルーズベルト大統領の補佐官にも任命されるなど揺るぎない名声を獲得していました。しかし、物語はこれで終わりではありませんでした。

「始めまして、クレメント・ストーンです。お会いできて光栄です。」

「こちらこそ、お会いできて光栄です。さあ、どうぞお座りください。」

世界最大級の損害保険グループの創業者のクレメント・ストーンが何の目的で私に?

「博士、私はどうしてもあなたにお礼が言いたかった。私がいま大富豪として富を手にできたのはすべてあなたのおかげです。博士の著書を読んで感動し、そのプログラムを実行し、今日まで邁進してきたからなんです。」

「わざわざお越しいただいた上に益々光栄です。」

「ところで博士、もう一度現役に戻って頂けませんか?」

そんな彼の熱意に対し私は、私の中に何かが燃え上がるのを感じた。

「こんな私にできることがあればなんでもやりましょう。」

「良かった、本当にありがとうございます。ヒル博士。」

「こちらこそ、ありがとう。」